科学技術を押し売りしない
講義モジュール1-1「科学技術コミュニケーションとは何か」(川本思心)、その成り立ちや課題。そしてワークショップ
昨日の開講式特別プログラムに続いて、二日目です。「講義」と「ワークショップ」がありました。
講義は、本科・選科どちらも受講するもので、毎週、学内外の方による発表があります。これは6つのモジュールに分かれており、今年度はあわせて全27回あります:
- 科学技術コミュニケーション概論
- 表現とコミュニケーションの手法
- 活動のためのデザイン
- 科学技術の多面的課題
- 多様な立場の理解
- 社会における実践
講義一覧は、公式サイトで一般公開されています:
開講科目 – CoSTEP – 北海道大学 大学院教育推進機構 科学技術コミュニケーション教育研究部門
初回である本日のモジュール1-1は、CoSTEP部門長の川本思心さんによるお話でした。
講義モジュール1-1「科学技術コミュニケーションとは何か」
これから科学技術コミュニケーションを学んでいくにあたり、まずそのものについてお話でした。
2020年度に受講された情報科学者の湯村翼さんが自身のブログで書かれていたのを以前見たのですが、受けてみて、私もほぼ同様の感想を抱きました:
CoSTEP16期開講式 〜 科学技術コミュニケーションとは何か? #costep - yumulog
初回講義は、川本思心先生の「科学技術コミュニケーションとは何か?」。本当に面白かった。科学技術コミュニケーションについて興味があったので受講したので、面白いのは当然といえば当然なのかもしれないが。科学技術コミュニケーションについて断片的に知っていることや実践してきたことが、体系的な知識として身につくような感覚が得られた。90分の講義だったけど、もっとずっと、4時間でも5時間でも聞いていたかった。
広く様々な話題が挙げられた講義でしたが、その中からいくつか、個人的に思ったことを書いてみます。
その成り立ち
科学技術コミュニケーションというものがなぜ生まれたのか。川本さんは、思い切ってその起点を設けるならば、それはBSE(牛海綿状脳症)問題だろうと述べていました。
1985年にイギリスで初報告されたBSEは、1989年にはイギリス政府が「人への感染リスクは極めて低い(しかし感染したら甚大な影響)」と発表。しかしその後、1996年には「人に感染する」と報告され、100名以上が死亡。これが「信頼の危機」を生み、科学技術政策へ大きな影響を与えたそうです。
それから、2011年の東日本大震災や、2020年頃からの新型コロナウイルス感染症の世界的流行など、科学技術コミュニケーションが特に重要となる局面は度々生じています。
北海道ということで講義では、洞爺湖のほとりにある有珠山(うすざん)の事例も取り上げられていました。この山はこれまで約30年おきに噴火しており、1944年の噴火では昭和新山が誕生、1977年の噴火では死者2名、行方不明者1名が出ました。その後80年代にハザードマップが作られるも、社会的混乱を巻き起こす、観光に影響が出るとの意見もあり、95年まで住民へは配布されなかったそうです。そして2000年の噴火では無事に避難が完了、死者を全く出さないことに成功しました。ちなみに私もちょうど先日、洞爺湖にある火山科学館を訪れたのですが、なかなか凄まじかったです。
その様々な定義
さて、「科学技術コミュニケーション」については色々な方が、目的や主体など様々な定義をされているようです。講義の冒頭でもたくさん紹介されましたが、その中で私にとっては以下が、何かしっくりときました:
科学技術コミュニケーション実践の評価手法 : 評価の一般的定義と体系化の試み : HUSCAP
社会全体の集合的意思決定機能を向上させるために、科学技術に関するコミュニケーションを行うこと
⽯村源⽣(2011)「科学技術コミュニケーション実践の評価手法 : 評価の一般的定義と体系化の試み」科学技術コミュニケーション 10:33-49, p.35
欠如モデルと科学技術の押し売り
この講義で私は特に、「科学技術の押し売り」に関する議論が、一番興味深く感じました。
CoSTEPへ応募する前に少しだけ読んだ岸田一隆『科学コミュニケーション 理科の〈考え方〉をひらく』(平凡社, 2011)という刺激的で面白い本でも、同様の話題がありました。以下、第一章「科学コミュニケーションとはなにか」から引用します(強調引用者):
コミュニケーションにとって決定的なこと。それは、コミュニケーションの成否を決めているのは、受け手の側だということです。
もともと科学が好きな人や科学の高等教育を受けた人が科学コミュニケーションをする場合、動機が「科学のおもしろさや素晴らしさを伝えたい」ということであることが多いようです。ですが、相手の価値観は自分と同じではありません。出発点が「科学はおもしろい」では、共感・共有のコミュニケーションとしての成功はおぼつかないと思います。結局のところ、苦手な野菜に味の濃いドレッシングをたっぷりかけてごまかすやり方になりかねないのです。
(中略)
自然や宇宙や珍しい現象は多くの人にとっておもしろいものでしょう。ですが、これらはあくまで対象なのです。これらの「対象」を認識する「方法」にはいろいろあります。人間の単純な感情も、宗教も、文学や芸術も、認識の方法です。こうした方法のひとつとして科学があるのです。対象と方法をむやみに混同してはいけません。方法としての科学は、はたしておもしろいものでしょうか。懐疑主義に基づく科学的方法は果てしない努力を人間に強いることになります。そのため、科学に厳しく頑固なイメージを抱いてしまい、より神秘的な考えの方に魅力を感じる人も多いのではないでしょうか。
そこで、人間という生物として必然的な、人類全体が共有できる価値観の中身について考えてみましょう。これには二つ考えられます。それは「個人の幸せ」と「人類が集団として生き延びること」です。
(中略)
では、これらの価値観と科学とにどんな関係があるのでしょうか。それは、科学が実に強力なツールだったということです。個人の生存にとっても、人類全体の生き残りと繁栄にとっても、科学は実に大きな力を発揮してきました。おそらくは、今後の私たちの生き残りのためにも必要となるでしょう。ただし、いろんな難しい問題に直面している現在、私たちの強力な道具だった科学自体の見直しや位置づけも必要になってきています。「科学の側」と「そうでない側」で価値観が分離したままであったり、科学に無関心であったりしていては、人類にとって不利なのです。
以前は、パターナリズム的な方向性があったそうです。「欠如モデル」というフレーズをこの講演で初めて知りました。
欠如モデル(英:deficit model)、もしくは情報欠如モデル(英:Information deficit model)とは、大衆が科学技術を信用しないのは「大衆に情報が欠如しているからだ」、もしくは「大衆の理解が足りないからだ」とする理論。
欠如モデル - Wikipedia(2023-05-14参照)
それが批判され、「理解・受容」から「対話・参加」へと変わっていっているようです。
私自身も、なにかやっていると「これはスゴいッ、みんな知るべき!」なんて思って、好き勝手に伝えたりしてしまうことが往々にしてあります。自省を改めて促される話題でした。
素人の専門性
科学技術コミュニケーションにおけるモデルのひとつとして「素人の専門性(Lay-expertise)」というものがあるそうです。科学技術の専門家ではない”素人”でも、それらと同等、あるいはそれ以上に地域的・状況的に正しい知識を持ち判断できうるだろうというお話です。牧草地の汚染について、研究者が誤っていて、羊飼いのほうが正しかったという事例が紹介されていました。
このように見ると、先に述べた啓蒙的態度が変わってくるのかなと思います。
またこれを聞いて、歴史を面白く学ぶコテンラジオ(COTEN RADIO)というポッドキャストの「人間の知性について 〜ひとくくりにできない才能と広がる未来への可能性〜【COTEN RADIO 番外編 #74】」という回も思い出しました。「知性」には、論理的思考や言語化能力だけでなく、もっと多彩なものがあるだろうというお話です:
「職業」としての科学コミュニケーション、「職能」としての科学技術コミュニケーション、という話題も講義ではありました。そしてCoSTEPは後者を重要視すると。だからこそCoSTEPは、研究者などに限らず広く人材を募集していると。公式サイトには「CoSTEPの扉はみんなにオープン」と書かれています。
科学技術コミュニケーションとは …
講義の最後は、「科学技術コミュニケーションとは」という空欄吹き出しのスライドで締めくくられました。ここに自身の言葉で述べてみよということです。そしてまた修了時にも同じ問いがなされるそうです。
今の私が言葉にしてみると、少しカッコつけて以下のような感じでしょうか:
「近代社会において、科学技術の知識を市民が共有し、より良い合意形成と意思決定を行うための営み」
はてさて、1年を通した学びと実践で、どう変わるでしょうか。
2024-03-31追記: 一年経って、その考えは変わりませんでした - 2024-03-31の日記
余談ですが、ここで記した「近代」や「市民」の概念は、古川雄嗣『大人の道徳 西洋近代思想を問い直す』(東洋経済新聞社, 2018)という書籍で学んだことを念頭に置いています。著者である教育学者の古川雄嗣さんは現在、北海道におられるようです(北海道教育大学旭川校)。将来のCoSTEPで講義していただけると面白いかもしれません。
ちなみに本書は、仏教などを論じられているニー仏(魚川祐司)さんが紹介していて知りました:
ワークショップ
お昼休みを挟んで、午後はワークショップです。4、5名のグループへ分けられました。お昼休みの時から、教室でご飯を食べながら皆、活発にお話ししていました。
取り組んだのは、「パターン・ランゲージ」。公式Twitterの写真にもちらりと写っています:
今日は、開講ワークショップのリハーサルが行われました。CoSTEPでは、教員が設計した受講生向けワークショップを開講式に合わせて開催しています。それぞれの着眼点が共有され興味深いものでしたよ。リハを経てどんなワークショップになるのでしょうか、お楽しみに。 #CoSTEP #CoSTEP裏話 #2023年度 pic.twitter.com/u1k1cOVLfQ
— CoSTEP (@costep_pr) May 2, 2023
パターン・ランゲージは、「知」を文章やフレーズで表現する方法です。これはカードの形式で、フレーズやイラスト、場面などをまとめて表現されることがあります:
今回は、科学技術コミュニケーターの方による実際のエピソードを読み、そこからパターン(良い実践の秘訣)を抜き出して、パターン・ランゲージのカードを作成する、ということを行いました。
私のいたグループでは、カードの一つが「仕掛け側にもメリットを」というものになりました。例えば、専門家へ協力を仰いだとしても、それだけでは先方の負担にしかなりません。しかしその行いを、研究広報として役立てたり、はたまた研究へのフィードバックの機会とすることで、専門家側へもメリットを提供することができます。それによって、三方よし、科学技術コミュニケーション活動の持続可能性も向上するだろう、などと話していました。
また我々を含む多くのグループが、イベントだけで終わってしまわず、次のイベントへ繋げたり、家に帰った後も自ら考えたり実験したり行動変容してもらう、というような観点を取り上げていました。食事のように「テイクアウト」と表現していたグループがあり、良いなぁと思いました。
カードやメモを空間的に整理して配置し発表していたグループがあり、すげぇ〜と思いました。他には、「『正しいコミュニケーション』よりも『ふさわしいコミュニケーション』という言葉の方がいいのではないか」などと議論しているグループがあったそうで、なるほど、いい感じだなぁと思ったりしました。
発表後の時間では、別のエピソードを読んで、色々と倫理的・感情的な話をグループでしていました。こういう話を突っ込んですることはなかなか少ないので、良い機会でした。
始まりの終わり
これで2日間にわたる開講式関連プログラムが終了しました。これから本格的に、講義・演習・実習が始まります。
開講式の際に飾られていたお花を少し頂いて帰りました。ちなみに、CoSTEPとは関連のない友人に教えてもらったのですが、開講式特別プログラムのお花、昨年は、円山公園のそばにある季々というお花屋さんが用意されたそうです。今年も同様なのでしょうか 🌲