科学技術コミュ日記

動物倫理、コミュニケーション、ファシリテーション

実習、講義「コミュニケーションを改めて考え直す」(種村剛)、そしてファシリテーション演習

レゴで取説ワーク
レゴで取説ワーク

今週の土曜日は、朝の10時から「実習」をやって、昼休みはイベント運営の議論をして、午後にはまず「コミュニケーションを改めて考え直す」という講義があり、その後に「ファシリテーション演習」が18時過ぎまである、という盛り沢山の1日でした。

ソーシャル・デザイン実習

「表現のメディアを考える」 - ダミアン・ハースト

今週は、ダミアン・ハーストという現代美術家が紹介されました。動物をホルマリン漬けにした作品などが有名です:

初期の作品として「A Thousand Years」というものがあります。ガラスケースに牛の頭があり、虫が湧き、殺虫灯がある、というようなものです:

A Thousand Years (1990) by Damien Hirst – Artchive

これを見て、「Temponaut Timelapse」というYouTubeチャンネルを思い出しました。これは、さまざまなモノのタイムラプス(同一アングルで長時間、一定間隔で写真撮影して動画にしたもの)を公開しています。夜空や植物の成長などもありますが、食物が腐敗し虫が湧いていくといなかなかすごいものも多いです。数年前に初めて見た時は、YouTubeにこんなものがあるのかとちょっとショックを受けました。今見たら、200万以上ものチャンネル登録者がいるようです。

前回の実習で紹介されたジェフ・クーンズのように、ハーストの作品には驚くような価格がついているそうです。2008年9月、彼は223作品をサザビーズのオークションへ出展し、全てが落札され、合計で約2億米ドル、個人アーティストによる売り上げ記録を更新したのこと。↓の動画ではハーストを例に、アート作品のマーケットバリューについて、作家の評価や、(特に新人の場合)ディーラーの地位などが言及されています:

ホルマリン漬けというと、アートではなく医学的な展示としては、東京の目黒寄生虫博物館や、タイのバンコクにあるシリラート医学博物館を思い出します。北海道大学総合博物館でも、医学標本(ロウ製皮膚病模型ムラージュ)が展示されていたりしますね。これらと”アート作品”の違いってなんなのでしょうか。文脈は大きいのかなと思います。

ハーストの、牛を縦に分割し半身ごとにホルマリン漬けした作品など、展示会場では、その間を通ることができる場合もあるようです。実際に行って、近づくことで(もしくは近づきたくないと感じることで)、写真や動画以上の体験があるのかなと思います。

これまでの実習で紹介された、マリーナ・アブラモヴィッチによる「リズム0」(6時間のあいだ、会場のマリーナへ対してなにをしてもいい)や、ローマン・オダックの「Measuring the Universe」(来場者が壁に身長や名前と日付をマークしていく)など、参加する形のものは、ライブ感のある体験で興味を惹くし、当事者意識が湧きやすいかなと思います。当事者意識は科学技術コミュニケーションでも重要だろうと朴さんはこのとき述べていました。

ちなみに、参加型というと、オノヨーコによる電話のインスタレーション(会場に電話があって、ときどき彼女から電話がかかってくる)と、生きた金魚がミキサーに入っていて来場者は作動ボタンを押すことができる、という展示を思い出しました(金魚の展示では実際に何匹かの金魚が殺されたそうですが、館長が訴えられ罰金刑を命じられたが無視し、最終的には「魚は1秒も経たずに死に、苦痛を得なかっただろう」という専門家の意見から、罰せられなかったそうです):

「薬の小話」 - 動物の福祉

先週から始まった「薬の小話」、前回は新薬開発と薬価についてで、今回は動物実験についてのお話しでした。

実験動物の愛護に関する基本理念として、

という”3つのR”があるそうです:

Three Rs (animal research) - Wikipedia

対象動物にも、マウスやラットから、ウサギ、イヌ、サル、などさまざまあります。私はゼブラフィッシュ(メダカのような小さな魚)を使ったことがありますが、班ではマウスを使った方がそのお話をされていて、それはやはり、魚より重い印象を受けただろうと想像しました。

動物福祉に関しては、個人的には肉食(集約的畜産業)の観点も気になっています。私は現在、菜食主義者ではありませんが、米国に住んでいた時には短い期間、菜食をやってみたことがありました。彼の地ではレストランでも基本的にはビーガンメニューがありますし、社会的にもよく知られていてそんなに珍しくないので、やりやすいなあと思いました。ビヨンド・ミートという会社のパテ(植物由来の代替肉)が好きで、よく食べてました 🍔

ちなみに、こういった世にある様々な論点について「難しいよね」「色々あるよね…」などで停滞したり、なんとなくその場で議論してみるのでもなく、ドメインの背景知識を得たり、まず倫理的観点を整理したりすることで、より建設的に進めないかなあ、などと近ごろ思います。最近読んでいる倫理学を扱った一般向けの本(とても面白くてオススメです)には、以下のような記述がありました:

倫理の問題には、確かに難しいものもあって、実際の話、倫理学者の間でも意見が分かれることもあります。でも、当然ながら答えが出せる問題もたくさんあります。だからこの本では、答えが出しやすい問題で練習してから、もう少し難しい問題にもチャレンジする、という方針をとることにしました。そうすれば、 難しい問題ってのがなぜ難しいのかも理解できて、無駄な悩みが減らせるからです。

平尾昌宏『ふだんづかいの倫理学』(晶文社, 2019) 「はじめに」(強調引用者)

動物倫理に関しては、倫理学や科学哲学を専門とされる伊勢田哲治さんが原作を務めた『マンガで学ぶ動物倫理』が、概論として読みやすく良かったです。ペット(伴侶動物)のしつけや、殺処分と去勢、動物実験、肉食、外来生物、野生動物の保護と駆除、イルカ・クジラ漁といった問題を取り上げ、動物の権利や「種差別」といった概念を紹介しています。それらを踏まえて最後の「人間と動物への態度に筋を通すことはできるか?」(p.126-)という節では、動物の扱いについて取りうる選択肢などもまとめられています。本書に答えが明示されるわけではないですが、議論したり、自分はどうかを考える際の参考になります:

マンガで学ぶ動物倫理 - 株式会社 化学同人

動物の権利運動に答える形で、動物福祉の取り組みも盛んになりました。特にEUを中心に、ここ20年ほどで次々に動物実験についての規制が実施され、第3章でも紹介したように化粧品についてはほぼ動物実験が禁止されるところまで来ています。
こうした運動の高まりにともなって、人間と動物の関係はどうあるべきか、という原理についての議論も盛んになってきました。これが学術的な研究領域としての「動物倫理学」です。シンガーやトム・レーガンといった哲学者が動物に配慮する側の論陣を張り、それに反対する議論もいくつか試みられてきました。しかし、動物にまったく配慮しなくてよいという立場を擁護するのは倫理学的にはたいへん難しいことがわかってきています。近年では、動物の権利論はある程度当然の前提として、人間と動物の関係をもっと豊かにしていくにはどうしたらよいか、というような方向へと議論が進みはじめています

伊勢田哲治(著), なつたか(マンガ)『マンガで学ぶ動物倫理 わたしたちは動物とどうつきあえばよいのか』, p.139 (強調引用者)

またこの書籍について、伊勢田さんがその内容や狙いなどを解説した講演の動画もあります。興味を持たれた方には、こちらも参考になるでしょう:

ちなみにCoSTEPでは昔、札幌市の円山動物園を取材するというワークもあったそうです。私の同僚でCoSTEP卒業生(2008年度)の古川泰人さんがそんなことを言っていました:

円山動物園では不慮の事故がこれまで何度かあったそうで、それも踏まえて2022年、動物園条例が施行されたというのをニュースを以前見ました:

動物の福祉、条例で守る - 日本経済新聞

「動物福祉」の向上を掲げ、札幌市で「動物園条例」が6月に全国で初めて施行された。背景には、興行優先への反省があり、専門家は「園の在り方を見直す画期的な動き」と評価する。欧米では既に福祉重視の運営がされているが、日本では娯楽施設との認識が依然根強く、他自治体への広がりは未知数だ。

動物の福祉、条例で守る - 日本経済新聞(2023-06-25取得)

また、円山動物園はポッドキャストもやっています。動物自体のお話に加えて、動物園同士で動物を貸し借りする話などもありました:

ポッドキャスト番組「みんなの円山動物園」/札幌市円山動物園

円山動物園のエゾユキウサギ展示にて、2022年11月撮影:

円山動物園のエゾユキウサギ展示にて、2022年11月撮影

レゴを使った「取説」ワーク

またこの日は、「取説」ワークというのをみんなでやりました。

レゴでなにか作品をつくり、それを組み立てるためのインストラクションを言葉で書く、というものです(ちなみにIKEAの組み立て説明書は、テキストがなくてイラストだけになってますね)。

今回は3つのピースだけ使ったので、そこまで難しくはなかったですが、自分の前提を、相手が了解していないということがよくわかるものでした。

面白かったのは、「タイトル」や「ストーリー」の観点です。説明書、手順だけでなく、そういったことも述べることで、読解の解釈を誘導できる、というようなことです。

今回のワークでは、「死」をテーマにピースを組み合わせて作ってください、というお題だったのですが、それに対して「こちらに座って、扉を見て、そしてそれを開いて向こう側へ行く」というようなストーリーを説明書につけた方がいて、それを読んだ組み立て担当者は「座って扉を見るということは、この向きではない」などと判断できて、正しく完成できていました。

青写真イベントの準備

残りの短い時間では、8月に行うイベントの準備。この日から、本格的に開始しました。まずはそれぞれのメンバーの役割決めをして、やることの整理などをしました。対話班はすでにサイエンスカフェの開催に向けて忙しそうですが、私たちソーシャル・デザイン班もイベント開催へ向けてまたバタバタとしそうです。

8月のイベントは「青写真を作ってみよう」というもので、大枠自体はCoSTEPスタッフの朴さんがすでに設定しています。その上で、我々メンバーのアイデアで、こういうことをしたら良いんじゃないかと議論したり、物品を揃えたり、当日の導線を考えたりしていきます。

そのイベントの後には、次の企画へ向けて、トピックも手法も我々で考えていかねばなりません。まずはイベントを一度みんなでやってみることで、それぞれのスタイルや得手不得手、興味関心がもっと見えてくるかなと思います。

講義「コミュニケーションを改めて考え直す」(種村剛)

午後は講義。北海道大学の種村剛(たねむらたけし)さんによるお話でした。

ちなみにこの日の演習後は、他の受講生数名と飲みに行く感じになり、行きがけに種村さんとたまたま会ったので、そのまま彼も交えて色々と飲んだり食べたりお話ししました。

種村さんは、高専で科学技術倫理を教えていたことがきっかけで、2014年にCoSTEPへ選科生として参加。翌年にはCoSTEPスタッフへ加わり7年間、務められました。そして2022年に、北大の大学院教育推進機構リカレント教育推進部へ移られました。CoSTEPの運営するウェブサイトに、紹介記事があります:

演劇の力を信じて 科学技術の対話の場に – SciBaco.net

北大に来る前は演劇は観る専門でしたが、CoSTEPの開講式にお招きした平田オリザさんの「演劇を使って対話の場を生み出す」というお話を聞いて、俄然、興味がわきました。古代ギリシャの広場から生まれた演劇は、その根底に自分たちの暮らしに大きく影響する事柄については皆で話し合って決めていく民主主義の精神が流れており、それは現在の科学技術と我々の関係性にも全く同じ構造が当てはまる。そう考えて、実習では科学技術を題材にした裁判を舞台にした討論劇を台本から作り、観客の方々を陪審員にして話し合っていただくイベントを企画しています。

演劇の力を信じて 科学技術の対話の場に – SciBaco.net(2023-06-25取得)

講義の内容は6セッションに分けられ、各セッションごとに論点とまとめがありました。あとで聞いたところ、これはMOOC(大規模公開オンラインコース)の形式を踏まえているそうです。この講義も、教室でリアルタイム聴講する人(主に本科生)より、オンラインで受講する選科生などの方が数としては多いし、とのことで、確かに理にかなっているなと思いました。セッションごとに区切って視聴しやすいです。また講義中も「動画で見てる方は、一度ここで止めて、この問いを考えてみてください」などと仰られていました。

セッション0はガイダンス、セッション5は講義のまとめクイズです。

伝達と理解

セッション1では、コミュニケーションに対する2つのモデルが紹介されました。ひとつめは数学者のクロード・シャノンによる「通信モデル」で、コミュニケーションの目的は「正確な情報の伝達である」というものです。

しかし種村さんは、うなぎ文を例に(飲食店で「私はうなぎ」「いえ、あなたは人間です」)、伝達は成立しているが、理解がズレていると、コミュニケーションが成立したと言えないのではと述べます。

それに対して「理解モデル」(社会学者のニクラス・ルーマンによる)では、情報の伝達だけでなく、理解の観点も考慮します。ここで、コミュニケーションにおける理解は、相手の発言を「こうではないか」と想起しふるまうこと、と述べられました。

相互行為とコンテクスト

セッション2では、理解を成立させるために「相互行為」と「コンテクスト」があると述べられます。相互行為(対話など)のなかで、互いの理解が作られていく(「あなたは人間です」→「いや、鰻丼を注文してるんです」)。

また、コンテクスト(文脈)が理解の前提としてある(”ここは飲食店で、客と店員である”)と言います。

また、ハイ/ロー・コンテクスト(理解において、情報と文脈のどちらがより重視されるか)を紹介した上で、「科学は、ロー・コンテクストでもあり、ハイ・コンテクストでもある」と述べられました。科学は、普遍的に成立するが、科学の理解は科学者共同体の特殊な文脈に強く依存している、というようなことでした。その時、科学者は、他の文脈に合わせて、間違ったことを言うわけではないのだけれど、粒度を粗くしてアジャストするのが一つのやり方、などとも述べられていました。

ちなみに、夜の飲み会では何人かが、「カズレーザーと学ぶ。」や、「ザ!鉄腕!DASH!!」(どちらも日本テレビの番組)などいいよね、「わからない」役の人がいないとか、他方でお笑い芸人さんらによるガヤがあったり、などと話していました。そしてそれは、科学者がコミュニティ外へ文脈を合わせていく、また一つの形かもね、などという話にもなりました。

コミュニケーションと公共

このセッションでは、公共や民主主義について語られました。

17半ばから18世紀にイギリスで流行したコーヒー・ハウスでは、階級や職業を超えて、政治や経済、社会について議論がなされ、それがのちの市民革命へと繋がったと言われているそうです:

1652年にはロンドンにもコーヒー・ハウスが開店し、王政復古(1660年)、ロンドン大火(1666年)の時期を経て増加し[4][5][6]、多くの客のたまり場となった。女性は出入りすることが出来ず、男性客のみが対象で、男の世界であった[7][8]。 コーヒー・ハウスでは酒を出さず、エキゾチックな飲み物とされたコーヒー、チョコレート、たばこを楽しみながら[9]、新聞や雑誌を読んだり、客同士で政治談議や世間話をしたりしていた。 こうした談義や世間話は、近代市民社会を支える世論を形成する重要な空間となり、イギリス民主主義の基盤としても機能したといわれる[10]。(フランス革命においてカフェが果たした役割と比較される。)一方、政治談議に危機を感じた当時のイングランド王ジェームズ2世は1675年12月にコーヒーハウス閉鎖宣言を出したものの反対にあい取り消した。

コーヒー・ハウス - Wikipedia(2023-06-25取得)

また、「熟議民主主義」(数の力より理由の力)というものも簡単に紹介されました。これを実践するために、「ミニ・パブリックス」というものがあるようです:

ミニ・パブリックスでは、まず熟議参加者が無作為に選ばれ、専門家が参加者に知識を提供した後、参加者が小さなグループに分かれて熟議を行い、最後に参加者全体としての熟議を行う[3]。参加者の数は比較的少数とされ[12]、専門家は熟議に参加せず、情報提供のみ行う[3]。政策決定をはじめとする意思決定のほか、政策提言など意見形成にも用いられる[12]。

熟議民主主義 - Wikipedia(2023-06-25取得)

上記のWikipedia記事では「討論型世論調査」というやり方も紹介されていて、今気づきましたがこれは、後のファシリテーション演習で実際にやったものでした。熟議の前と後にアンケート調査を行なって、意識がどう変化したかを見るというものです。

学び直す

最後のセッションは「科学技術コミュニケーションを学び直す」ということがテーマでした。

知識獲得を「”これまで答えられなかった問い”へ答えられるようになること」と暫定的に捉えたとき、その「今まで答えられなかった問い」には、「他者は答えられるが、自分はその知識がない」ケースと、「誰も答えるための知識がない」という2種類があると述べられます。前者は”知の高速道路”を辿るなどしていくべきでしょうが、後者は、(研究と同じく)仮説を立てて、それを検証していくことが必要でしょう。

「実践共同体」というフレーズも紹介されました。新参者はまず周辺から参加し、コミュニティの熟練者から学びつつ、しかし熟練者自身も答えを持っておらず探求しているという環境で共に試行錯誤する、というようなお話でした。これら概念は、ジーン・レイヴとエティエンヌ・ウェンガーによる『Situated Learning』(1991)という書籍で解説されているようです(邦訳:『状況に埋め込まれた学習 正統的周辺参加』):

ファシリテーション演習

実習、講義を経て、15時から18時過ぎまで、奥本素子さんによるファシリテーション演習でした。

4~5名のグループに分けられ、計5回のワークを行いました。全メンバーが一度づつ、ファシリテーターの役割を行います。

最初に、ファシリテーションについて少し、座学がありました。そこでは、ファシリテーションといっても諸説ある、というような話がありました。目的や、またその人のスタイルやキャラによっても適切なやり方は異なるでしょう。またファシリテーターには「場のホールド力」が必要になることもある、ただ聴くだけでなく皆を刺激したりなども、という話題もありました。

それから、グループワークです。ふせんやホワイトボードも使って進めていきます。

アイスブレイク - 「CoSTEP開講式のゲスト」

まずアイスブレイクでは、シックスハット法(そういえばインタビュー演習のときの日記でも言及してました)を使って、「来るCoSTEP20周年の開講式に誰を呼ぶか」を議論しました。

ちなみに私のいたグループは、多数の候補が上がった末に、漫画家の荒川弘(あらかわひろむ)さんが良いのではということになりました。『鋼の錬金術師』が有名ですが、北海道のご出身で、漫画家になる前は家業の農業に7年間、従事されていました。『鋼の錬金術師』の他に、農業高校を描いた『銀の匙 Silver Spoon』(私はとても好きです)や、畜産業などを取り上げた『百姓貴族』といった作品があり、生命観が一つの大きなテーマになっていたりするのが、CoSTEPの場に合うのではないかという話でした。

この時はファシリテーターがいない状況で好き勝手に話し合い、この次から、各メンバーがその役割を担っていきます。

対話型鑑賞法

次は「対話型鑑賞法」です。パトリシア・ピッチニーニという方の「The Young Family」という絵画を見て、「この絵の中で、どんなことが起こっていますか?」「あなたは、何を見てそう言っているのですか?」「もっと発見はありますか?」という3つの質問のみで進めていくというものです。

確かに、色々と話しながら観ると、新たな気づきが生まれます。ただ、これは、単に長時間見続けていることもあるのかと思いました。時間が短かかった(20分)のもあり、もうちょっと長くやってみたいなとも思いました。4回あるファシリテーションのひとつめで、それぞれがまだ慣れてなかったというのもあるかもしれません。

Patricia Piccinini | The Young Family (2002) | Artsy

ちなみにこの絵画についてあとで調べたところ、作者自身は技術の進歩や人類と自然の関係性について述べてた上で「この生き物は臓器移植のために飼育されているのではないかと想像する」と言っていました:

So if we look at The Young Family we see a mother creature with her babies. Her facial expression is very thoughtful. I imagine this creature to be bred for organ transplants. At the moment we are trying to do such a thing with pigs, so I gave her some pig-like features. That is the purpose humanity has chosen for her. Yet she has children of her own that she nurtures and loves. That is a side-effect beyond our control, as there will always be.

Patricia Piccinini - Essay(2023-06-25取得)

討論型世論調査 - 「大学女子枠の是非」

ふたつめは「討論型世論調査」です。東京工業大学で「女子枠」を設けることの是非について議論しました。

東京工業大学が総合型・学校推薦型選抜で143人の「女子枠」を導入 ダイバーシティ&インクルージョンの推進を目指して2024年度入試から順次実施 | 東工大ニュース | 東京工業大学

「討論型世論調査」については上でも言及しましたが、まず最初に賛成・反対のアンケートを取って、その上で議論したのち、最後にまたアンケートを取る、というものです。

この時は、みな賛成寄りで、また強い意見の人もいなかったので、ディベート的に一人が反対になって、議論を進めました。

単に賛成・反対とだけ言って終わるより、議論によってより良い形が見えてきて(「無理やり入れても馴染むのか、つらい状況になるのでは」→「アフターケアや、他学生への理解と受容を促す教育なども併せて実施」みたいな)、「アウフヘーベン…!」と感じられて、個人的にはとても良い時間でした。

創発型ワークショップ - 「CoSTEPのキャッチフレーズ」

みっつめは、創発型ワークショップ。「CoSTEPで学びたくなるキャッチフレーズを考えてください」というものです。

この辺りから、時間がだいぶ押していて、時間短縮されて駆け足になっていきました(笑)

上の二つと違って、このテーマは自由度が高いので、ファシリテーターの方がまず「皆さんはなぜCoSTEPに参加されたんですか」などと、考えて質問を投げかけていました。

最終的に我々のグループは「自分にも関係あるじゃん、科学技術コミュニケーション」というフレーズになりました。科学技術コミュニケーションと言ってもよくわからないし、自分には関係ないと思われてることが多いのでは、という論点から、参加者の方の一人が「私は研究職などではないが、昨年、料理研究家の土井善晴さんによる講義(CoSTEP開講プログラムが一般公開されていた)を見て、”自分にも関係あるじゃん”と思った」と述べたところから、それだ!という感じで決まりました:

2022年度CoSTEP開講特別プログラム「ハレとケのコミュニケーション~いい塩梅をかなえる日常の視点~」を開催しました – CoSTEP – 北海道大学 大学院教育推進機構 科学技術コミュニケーション教育研究部門

ファシリテーションのふりかえり

最後に、ここまでやったファシリテーションを振り返り、ヒントをまとめる、という議論を行います。私はこれのファシリテーターをやったのですが、もう時間がなく、本当は模造紙にまとめるはずだったのがそれもなく、さらっと10分で終わりました(笑)

それまでのワークで既に、良かったこと・そうでなかったことがふせんにまとめられていたので、それを元に各メンバーへ順番に話をふっていく、というくらいでしたが、このとき各人による発言量のバランスをとることは、ファシリテーターに求められる仕事の一つでしょう。

インタビュー演習の時の記事でも紹介した、人の話をちゃんと聴くことの重要性について述べた『LISTEN』という書籍では、Google社による「なにが素晴らしいチームをつくるか」についての調査を紹介しており、そこでは発言量のバランスが言及されていました:

3年間データ収集を続けたのち、プロジェクトの研究者らはようやく、団結力があり効果的に物事を進めるチームづくりについて、ある程度の結論を得ました。
それは、もっとも生産性のあるチームは、メンバーの発言量がだいたい同じくらいだということでした[]。
これは、「会話での平等な話者交代」として知られています。

能力の高いチームはまた、「社会的感受性の平均値」が高いこともわかりました。
つまり、声のトーンや顔の表情など非言語的な手がかりをもとに、お互いの感情を直感的に読みとる能力に長けていたのです。

「心理的安全性」は、相手の話を聴くことから始まる
言い換えると、グーグルの調査で明らかになったのは、成功するチームではメンバーの話をお互いに「聴きあって」いたということです
メンバーは交代で発言し、お互いの話を最後まで聞き、言葉にされていない考えや感情を理解するために、非言語の手がかりに注意を払っていました。
そのため、チームの人たちは思いやりがあり、その状況に合った反応をするようになりました。さらに「心理的安全性」と呼ばれる、言葉をさえぎられたり意見を一蹴されたりする心配をせずに、情報やアイデアを交換しやすい雰囲気をつくっていたのです。

ケイト・マーフィ(著), 篠田真貴子(監訳), 松丸さとみ(訳)『LISTEN 知性豊かで創造力がある人になれる』(日経BP, 2021), 9章「チームワークは、話をコントロールしたいという思いを手放したところにやってくる」(強調引用者)

また、最後に他のメンバーとも話していたのですが、このような機会は、自分がファシリテーターをやらないとしても、その立場が少し分かるようになって、より良いメンバーになることの助けになるかなあと思いました。

駆け足でしたが、一度だけでなく、続けてこれだけの回数をやるのは、気づきをすぐ次に試せてなかなか良いな感じました 🙉