科学技術コミュ日記

科学技術コミュニケーターとCoSTEPのできること

講義「社会の中での科学技術コミュニケーターの役割:科学ジャーナリストを例に」(隈本邦彦)

北海道大学 高等教育推進機構 N163A室
北海道大学 高等教育推進機構 N163A室

土曜日の午前中は実習、午後は講義でした。実習については昨日の記事で書きました。ここでは、午後に行われた講義について雑多なメモを。

この日の講義は、隈本邦彦(くまもとくにひこ)さんによる「社会の中での科学技術コミュニケーターの役割:科学ジャーナリストを例に」というものでした。

隈本さんは1980年からNHKで記者をされていて、2005年、CoSTEPが設立されるときにスタッフとして北海道大学へ赴任されたそうです。現在は、江戸川大学メディアコミュニケーション学部の教授を務められています。

過去の講義レポート

隈本さんは元スタッフということもあり、毎年、CoSTEPで講義を行われています。

毎年の講義レポートが、2010年から2022年までの13本、CoSTEPのウェブサイトで公開されていました。

この中で個人的には、浅野希梨さんによる2021年のレポートが好きです:

「社会の中での科学技術コミュニケーターの役割:科学ジャーナリストを例に」(5/29)隈本邦彦先生 講義レポート – CoSTEP – 北海道大学 大学院教育推進機構 科学技術コミュニケーション教育研究部門

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科学者と市民のギャップ

科学にかかわることは、専門家が考えて決めればいいのか?

隈本さんは言います。確かにかつては、庶民は知らなくてよかった。たとえば佐渡の金山で、どのように金を取り出しているかは地元住民にも知らされておらず、幕府の奉行だけが把握していた(鉛アマルガム法というものだったそうです)。

しかし、それから世の中は変わりました。現代では科学技術が、国家や、個々人の生活の行方に大きく関わっています。

また、専門的判断への「市民参加」が当たり前の時代になっていると。たとえば裁判員制度。他には、私は知らなかったのですが、最近は病院の倫理委員会に患者代表が入ったりするそうです。

そして、科学と市民との関係も変わってきています。少し前は1970年の大阪万博に代表されるように、科学技術は一般的に好印象なものだったのでしょう。しかしそれからさまざまな事柄が起きて、専門家への信頼は揺らいでいます。

隈本さんは、統計数理研究所による日本人の国民性調査を例に挙げていました。この調査で「人間が幸福になるためには、自然を征服していかなければならない」と答えた人の割合が、1960年代後半から一気に減少しており、代わりに「自然に従わなければならない」の割合が急増して、逆転しています。これは当時、公害が話題になっていたことが影響しているようです。

この辺りは、最初の講義で川本思心さんが話していた、英国でのBSE問題による「信頼の危機」も思い起こします。

市民の不安、科学者とのギャップ

市民が漠然と、科学技術に対して不安を抱いているという状況があっても、それが「感情的 = 非科学的」と、科学者側からは切り捨てられがちです。

しかし、そのような「不安」は、間違っている場合もあるが、人類の生存に必要な感覚と関連していることもあるのでは(進化論的な観点から)、という見方を隈本さんは述べます。

そして、頭ではわかっていても、「気持ち」としてはそうではないことは多々あるでしょうが、研究者は目前の課題に夢中で、それがわからないことが往々にしてあります。また科学者も、自身の専門分野外のことまでは、詳細にはわかっていないはずです。

科学技術情報を発信する側と、それを受け取る社会との間に、伝達手段や理解度、感覚などさまざまな点で大きなギャップがある。それを前提にすることが大切だ。そのように隈本さんは言います。

これを聞いて、最初の講義で川本さんが話していたように、「科学技術の押し売りをしない」(欠如モデルを避ける)ことはやはり重要なのだろうなと思いました。

情報伝達の手段

市民が科学技術情報をどうやって得ているかについて、以下の調査結果が紹介されていました:

早川雄司『科学技術に関する情報の主要取得源と意識等との関連』(文部科学省 科学技術・学術政策研究所, 2015), 概2

『科学技術に関する情報の主要取得源と意識等との関連』, 概2

これをみると、テレビやインターネット、新聞が主な情報源となっていることがわかります。テレビは視聴率10%で、1300万もの人々へリーチできます。

一方で、次の資料では「研究者の意識」もあわせて調査されています:

平成16年版 科学技術白書[第1部 第3章 第2節 1](国立国会図書館のインターネット資料収集保存事業(WARP)によりアーカイブされている過去の文部科学省ホームページより)(2023-06-20取得)

さらに,国民が科学技術に関する情報を入手している方法としては,テレビ,新聞が主なものである。一方で,科学者等が国民に対して自らの研究の説明を行いたい場所や実際に行った場所を見ると,マスメディア(テレビ・ラジオ・新聞等)と回答した研究者は比較的少ない。むしろ,国民が科学技術に関する情報の入手先としては重視していない「一般国民を対象とした公演や市民大学等の授業」,「一般国民向けの雑誌への執筆」,「インターネットのホームページ等」などであった( 第1-3-27図 )。

平成16年版 科学技術白書 第1-3-27図 国民の科学技術情報の入手先と科学者等の情報発信場所について

ここでは、「国民の意識」と「研究者の意識」の乖離が見て取れます。国民は、テレビや新聞を主な情報源としているのに対して、研究者は、一般雑誌や専門誌、所属機関の公開やシンポジウムといった場所に注目しています。

深層学習技術などに取り組むPreferred Networks社を創業した岡野原大輔さんが、もう10年以上も前ですが、以下のように書かれていたのを思い出しました:

(4) 仕事をしたら、できるだけ早く論文、スライド、実装を公開するようにしました。また、本などの雑誌などに寄稿できる機会があれば積極的に書くようにしました。世の中に触れる人の量は「論文<<雑誌<<一般向けの雑誌<<実装」であることを常に心がけました。

博士生活振り返り: DO++(2023-06-21取得)

ちなみに関連して、私は常々、サイエンスカフェなどを開催しても、もともと興味がある一部の人が集まるだけで、大多数の人、社会には影響がないのでは、というような思いがありました(そのため、CoSTEPの先輩らによるカードゲームという形が、一般の人にも受け入れられそうで良いなと感じました)。

さて、科学者と社会の間にあるこういったギャップを埋めるコミュニケーションの手段として「科学ジャーナリズム」があり、それを担う「科学ジャーナリスト」たち(科学技術コミュニケーターの一典型)がいると、隈本さんは言います。

(ちなみに、講義では触れられていませんでしたが、研究者の意識では「インターネット」の割合が大きいということは注目すべき点だと思いました。これは平成16年(2004)の調査なので、先述の2015年調査結果や、2023年現在にインターネットがどれだけ一般にも普及しているかも踏まえると、これが科学技術コミュニケーションにとって強力なチャンネルとなるように思います)

精緻化見込みモデル

講義では「精緻化見込みモデル(Elaboration Likelihood Model, ELM)」という概念が紹介されました:

精緻化見込みモデル - Wikipedia

このモデルでは、情報を処理する思考に「中心ルート」と「周辺ルート」の2種類があるとされています。

中心ルートでは、そのトピックについて詳しい情報を集めて、時間を割いて自らの考えを練ります。

もうひとつの周辺ルートでは、情報をあまり収集せず、他者の意見などを参考に判断します。

全ての事柄について中心ルートを取ることはできないでしょう。そこで周辺ルートを辿るわけですが、そのときに、科学ジャーナリストが重要な役割を担うと隈本さんは言います。

科学ジャーナリストと科学ジャーナリズムの現状

科学記者の育成は現在でも、基本的に「OJT(On the Job Training)」で、体系的ではなく徒弟的で、自学が主で、むしろ良い取材先に育てられたりするそうです。

隈本さんは「良い記者自然発生説」と言っていました。

人材の育成については、毎日新聞からBuzzFeed Japanを経たフリーのノンフィクションライター、石田諭(いしださとる)さんによる『ニュースの未来』(光文社新書, 2021)という本でも、以下の記述がありました:

この本で僕の経験から振り返ったように、日本における記者教育は、基本的にOJTしかありません。雑誌やインターネットのライター、編集者、テレビの制作現場もOJTという意味では同じです。しばらくは、新興メディアが新聞社のように東京や大阪といった都市圏以外の論理を実地で学べ、記事を書く機会が用意され、かつ他社との競争があるような恵まれたモデルを作り出すことは難しいでしょう。
マスメディア業界の記者に限って言えば、キャリアの入り口よりも3年、5年、10年、といった節目でもう一度「ニュース」について学び直せるようなコースを業界と大学が共同で作るというやり方はあるかなとは思いますが……。

石田諭『ニュースの未来』(光文社新書, 2021), 第7章「良いニュース」を創るために, p241-242

また、科学ジャーナリズムの実践は、「全国紙の科学部」や「NHKの科学ディレクター(PD)、科学記者」が中心的存在となっているそうです。実は、民放テレビ局や地方紙では「部」ではなく「担当」が多いそうです。

CoSTEP開講プログラムでの、元毎日新聞の科学記者だった須田桃子さんによる講演で、STAP細胞事件の取材について「新聞社だからできた、現職(ウェブメディア)では難しい」と仰っていたことも思い出します。

ちなみに、日本の新聞社を舞台にしたサレンダー橋本『働かざる者たち』(コココミ, 2017-2018)という漫画を読んだことがあるのですが、会社のさまざまな人々が描かれていて、ほんとにこんなことあるのかなあと思いました。あとで新聞社に勤務する知人に聞いたら、けっこうリアルだと言っていました。

トランスサイエンス

ジャーナリストが取り扱うのは「トランスサイエンス」の問題だと隈本さんは言います。これは物理学者のアルヴィン・ワインバーグ(Alvin M. Weinberg)が1972年に提唱した概念で、「科学に問うことはできるが、科学だけでは答えることができない問題」を指すそうです(川本さんの講義でも少し言及されていました)。

例えば、微量の放射線が人体へ与える影響を、ワインバーグは論文で述べているそうです。高線量域のデータはあるが、低線量域のデータは少ない状態で、許容の閾値をどう設定するか。大規模な実験を行うことは現実的にはできないため、どこかでエイヤっと決めるしかありません。そしてこれを決めるのは、サイエンスではなくトランスサイエンスの問題です。これに関しては、前回の講義で松王政浩さんが論じた「科学者と価値判断」のお話を思い出します。

隈本さんによると、トランスサイエンス問題に対して「科学者がとるべき態度」について、ワインバーグは「誠実であれ」と述べているそうです。「科学の限界を明らかにするのが科学者の責務」で、そして 「それには無私の正直さが必要」だと。

悪しき客観報道

その責務を、日本の科学者が十分に果たしてきたか、そして科学ジャーナリズムがその責務を果たすよう科学者に促してきたか。隈本さんは、戦後の日本で起こった「薬害スモン」を例に、「悪しき客観報道」について言及されていました。

薬害スモンの経緯について、「スモンに関する調査研究班」のウェブサイトから引用します:

1955年ごろから、下痢などが続いた後、急に足の感覚が無くなったり痺れたりする患者が出てきました。目が見えにくくなったり、足が麻痺して歩けなくなる人も多く、原因不明の奇病ということで社会問題になりました。

57年頃から各地で集団発生することから、伝染病が疑われました。1960-1年にポリオが大流行したこともあり、大人のポリオと呼ばれたこともあります。ウイルスが原因かと疑われ、スモンのウイルスを発見したという報告もあり(追試では証明されず)、マスコミで報道されました。伝染病ではないかということで患者は差別され、社会的にもつらい思いをすることが多かったようです

本当の原因がわかったのは、1970年でした。スモンの患者さんは舌や便、尿が緑色になることがあります。この尿中の緑の結晶を分析した結果、緑色物質はキノホルムであることが6月に判明しました。

(中略)

スモンの原因がキノホルムだと判明し、原因不明の奇病や伝染病だと言われてきた患者たちの憤りは高まりました。キノホルムを製造販売していた製薬会社と使用を認めた国の責任が問われ、訴訟となりました。約11,000人がスモンと鑑定され、何年にも亘る訴訟の末、1979年にスモンの原因究明と患者の恒久対策を条件に和解が成立しました。

薬害スモンの経緯 | 厚生労働科学研究費補助金(難治性疾患政策研究事業)スモンに関する調査研究班(2023-06-20取得, 強調引用者)

事態の真相が判明するまで、メディアは「〜と言われている」と、その情報自体は確かに間違いではないのですが、国や医学的権威に寄りかかって「悪しき客観報道」をしていたと隈本さんは言います。

そしてこの「悪しき客観報道」は、何度も何度も何度も繰り返されている(近年の新型コロナウイルス報道でも)と隈本さんは述べていました。

課題: プレスリリースと各社報道の検証

この講義では、事前に「プレスリリース」と「それを受けた各社の記事」が渡され、その問題点について考えておくという課題が課されていました:

私は、最初にさらっと読んだときは「特に問題ないと思うけど…」と思いました。しかし課題として出されるということは、なにかしら問題点があるのだろうと読み返していくと、いくつかミスリーディングな部分があることに気がつきました(症状スコアが比較的高い患者”のみ”を対象としたときに半減(45%減)、など)。

そして講義に赴いて隈本さんのお話を聞くと、それらの点もありますが、そもそも根本的により大きな問題があることがわかりました。治験(検証的試験)をやっているのに、後から「探索的試験」(主要評価項目を決めずにアンケート)をやったらなんとでも言えてしまう、という点です。

論文のアブストラクト自体には、後遺症の話題はなく、あくまで症状の改善や陰性化が早まる、ということが述べられています:

The primary endpoint was time to resolution of 5 symptoms of COVID-19 (stuffy or runny nose, sore throat, cough, feeling hot or feverish, and low energy or tiredness), and the key secondary endpoints include change from baseline on Day4 in the amount of SARS-CoV-2 viral RNA and time to first negative of viral titer.

ENSITRELVIR FOR MILD-TO-MODERATE COVID-19: PHASE 3 PART OF PHASE 2/3 STUDY - CROI Conference(2023-06-20取得, 強調引用者)

一方でプレスリリースでは、以下のように述べられています:

また、CROI 2023では、エンシトレルビルのCOVID-19罹患後症状(後遺症、以下「Long COVID」)に対する効果を探索的に評価した結果が新たに発表されました。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)治療薬 エンシトレルビル フマル酸によるウイルス力価の 早期陰性化ならびに罹患後症状(Long COVID)の発現リスクに対する低減効果について ―国際学会CROI 2023において新規データを発表―|塩野義製薬(2023-06-20取得, 強調引用者)

また、公開資料を見ると、分析比較対象人数がかなり少ないことも分かります(数人程度しかいない症状もある):

「CROI 2023 フォローアップミーティング」2023年2月22日(水), 塩野義製薬株式会社, p.16-17

隈本さんは、記者はプレスリリースを鵜呑みにせず正しく判断できないといけない、と言っていましたが、私はそこまで判断できていませんでした。また、後のもくもく会でも話していたのですが、このような事例は、気づいていないだけで世の中にはたくさんあるのだろうなと思いました。

CoSTEPができることは?

科学技術コミュニケーターが「政府・企業・科学者コミュニティ」と「一般社会・市民」の間にいて、双方向のコミュニケーションを促すことが理想だと隈本さんは言います。

しかし現実には、科学者コミュニティに雇われた人が科学ジャーナリストがやっていることが多い。これへ対抗するには、「一般社会・市民」の側にもコミュニケーターが多数いて、情報の精査をできる仕組みが必要だ、と隈本さんは主張します。

最後に、彼は私見として次のように述べていました。

CoSTEPが、日本における科学技術ジャーナリズムの状況を劇的に改善したり、あらゆる科学知識を幅広く持った中立公正な人材を育てるのはたぶん無理だろう。

しかし、現状を少しでも改善するため、「基礎的な科学知識」と「ジャーナリスティックなセンス」を身につけた人材を世の中へ送り込むことは、頑張れば可能だろう。そしてその人材が、科学知識とコミュニケーションスキルを生かし、専門家・ジャーナリズム・市民のどの立場に立ってもいいが、「ごまかしやインチキのないフェアな伝え方や論争」ができるようにすることは、相当頑張れば可能だろうと。最後の点について「ちょうど裁判制度における弁護士のような存在」と隈本さんは言っていました。

この記事の最初に紹介した、浅野希梨さんによる2021年のレポートでは、まとめで以下のように書かれていました:

隈本先生は、言います。「中立的な立場にいる、というのが理想ですが、科学の問題は複雑な専門知識が必要とされ、両者の立場を理解できる神様みたいなコミュニケーターになることはほとんど不可能です。実際は、どちらかの側に寄ってしまうことが現実でしょう。そして、科学の問題は、裁判官のいない裁判のようなものです。相手の言っている嘘を見破り、的確に指摘できる弁護士のようなコミュニケーターが理想でしょうね」と。どこまでも“ふつうの感覚”を持ち続け、併せて、専門的知識へも出来る限り近づける人、それが小さなメディアとしての科学技術コミュニケーターのひとつの姿勢なのではないか、と考えました。

「社会の中での科学技術コミュニケーターの役割:科学ジャーナリストを例に」(5/29)隈本邦彦先生 講義レポート – CoSTEP – 北海道大学 大学院教育推進機構 科学技術コミュニケーション教育研究部門(2023-06-20取得)

以上、雑多なメモでした。科学技術コミュニケーションやCoSTEPについて、改めて考える機会になった講義でした 📰